見えないものもきっとそこにある・夕闇通り探検隊
今週のお題「怖い話」
私には軽度ADHDの子供が2人いる。
2歳差の、長女と長男。
長女はおしゃべりで、不注意で、相手に聞かれてもいないことをひたすらに話し続ける。骨折などの大怪我はしょっちゅうだ。よくクルクルと回っている。
長男は不器用だ。小学校に上がったにも関わらず、ごはんを箸できれいに食べられない。不器用なのにスポーツは好きなので、いつも負けて泣いている。
この夏、実家に子供を預けた。
お盆休みだけなら預かってくれると両親から言われ、徒歩20分ほどにある実家に子供を2人とも預けている。
ADHDの子供2人なんて、1日ですら預かるなんて大変だろうとわかっていたが、精神的に疲れ果てていた私は、両親の言葉に甘えるしかなかった。
夫婦2人だけだと、こんなにも穏やかで静かで落ち着いた生活だったのか、と実感しつつ、両親への申し訳なさに、胸が締め付けられる思いをしていた。
対して、子供にはあまり何とも感じなかった。本当に、一緒にいるのが辛かったのだ。
お題は、怖い話。
直接的な怖い話ではないし、こんなのでお題と言われても怒る人もたくさんいるかもしれない。けれど、私のこれからの人生がもしかしたら少し楽になるのではないかと感じることがあった。
私はホラーゲームが好きだ。
スプラッタやビックリ系ではなく、日本独特の、冬に髪が濡れっぱなしの時のような、あのヒンヤリ感と理不尽感の残る、そんなゲーム。
夕闇通り探検隊、という、20年ほど前に出たプレイステーションのソフトがある。
中学2年生の主人公、ナオ・サンゴ・クルミの3人組が、住んでいる町の怪談を解決していくというストーリーだ。正直、本当に怖い。怖いのに何故かプレイしてしまう魅力がある。
今はプレミアがついて、オークションサイトなどではものすごい値段で取引されている。
やることのない今、私は未だ手元にあるそれらのホラーゲームをプレイしていた。
そして発見した。
夕闇通り探検隊に出てくる、とある家族と、私と子供の関係に、よく似ていたのだ。
“クルミ”という少女がいる。前述した、主人公3人組のうちの1人だ。
クルミは、いわゆるクラスで浮いている子だ。
中学2年生だというのに小学校低学年ほどの言動から、同級生に「宇宙人」と呼ばれ無視されている。本人はそれの意味に気付かず、無邪気に過ごしている。何となくだが、クルミには自閉症と学習障害があるような描写に見えた。
家族構成は、父、母、クルミ、弟のコウの4人暮らし。家はとても綺麗で広く、どちらかというと裕福な家庭に見える。
父はとても包容力があり、母も細かいことは言わない。小学生の弟とも仲良く過ごしている姿がある。
しかし、ゲームを進めていくにつれ、それぞれの家庭の本当の姿が少しずつ浮き彫りになってくる。
20年前の私はまだ若く、ただただ怪異を攻略していくだけのプレイをしていたが、大人になった私には、怪異よりも、それぞれの家庭環境や取り巻く人々、地域の描写のリアルさに驚きを感じた。
それは、クルミの家が私の家庭環境とあまりにもよく似ていたからかもしれない。
クルミは、どうやら精神科に通っていた。
彼女には、自分の世界がある。いろんなものが見える。キラキラ光って、フワフワ浮いていて、話しかけてくる人がいて…それはとても楽しいものでもあり、たまにとても怖いものでもあった。
精神科の先生は父親の知り合いで、クルミの良き理解者であり、クルミは決しておかしな子ではないと言っていた。ただ、彼女なりの世界の見方があり、それが一般的なものとは少し乖離しているのだ、と。
父親もその話で納得をしていて、クルミの望むように絵本を読んでやったり、空想とも思える会話に長く付き合っていた。
しかし、実際に世間の矢面に立たされる母親はそうと思っていない。
面談では担任にクルミのことで困っていると言われたこと。
家庭でもクルミのことをどうしても構いすぎてしまうため、弟のコウを蔑ろにしてしまいがちになっていること。
クルミの言っていることがわからず、なるべくまともに話を聞かないようにしていること。
それらに大きな罪悪感を抱いていた。
母親は、そんなクルミの将来や、クルミの言動から晒される自身への目線、普通の子供であるコウもちゃんと構いたい、今の精神科では普通と言われ続ける現状の辛さ…
そんな暗澹たる気持ちで、他の精神科にかかることを強行した。
新しくかかる精神科の医者は投薬をメインにしており、カウンセリングでの診察はほとんど行わないというところであった。投薬治療が悪いとは言わない。投薬治療が合う子もいれば、合わない子もいる。
クルミには投薬治療がたまたま合わなかった、ただそれだけのことだ。
そして、クルミは感受性の高い子供だった。自分のせいで、周りが不幸になっていくのを、実はよくわかっていた。
このゲームのラストで、大きな事件が起こる。それは、このゲームをどのようにプレイしたとしても避けられない結果となる。
これはホラーゲームだ。
クルミの見えていた“モノ”は、他の人には見えていないものがたくさんある。実際、クルミ以外の主人公では解決しない怪奇事件がたくさんある。
クルミだけは、見えない人に話しかけ、普通ではありえない場所に行き着くことができる。
ただ、クルミにとっては、それらは空想ではなく、まぎれもない現実だ。
どこからどこまでが現実で、空想なのか。それは人によるのだろう。ただ、見えない人にとっては、恐怖そのものだ。まさに宇宙人だろう。
統合失調症の人の言うことだって、その人にとったら本当のことだ。自分のものさしだけで測ってはいけないのだろう。
冒頭にも書いたが、私にはADHDの子供が2人いる。
クルミの母親は、私とほとんど同じだ。2人の将来を悲観し、どうすれば普通になるのか試行錯誤し、失敗し、縋る先を探し回っている。
発達専門の小児科に通っているものの、どこか信用しきれず、誰が悪いのか、何が悪いのかをいつも頭の中で考えている。
しかし今、このゲームを真剣にプレイしたことで、その2人にしか見えていない世界も、もしかしたらあるのかもしれない、と考えることができるようになった。そして、それは2人にとっては現実である。
クルクル回ったり、ピョンピョン跳ねたりで、何か見えることもあるのかもしれない。
古いゲームだが、今になってはっきりと理解できた。私はもっと視野を広く持たなくてはならない。固定観念を減らさなければならない。
プレイした当時にはわからなかったこのゲームの凄さ。
クルミという、ゲームの中にか存在しないはずの少女は、現実にもきっとたくさんいるのだ。
20年も前にこのゲームを作ったクリエイターに、ありがとうと伝えたい。
もうすぐ子供が帰ってくる。おかえり、と笑顔で迎えられる。そんな気がした。