koke_sangoの日記

ADHDの子供2人と私と主人と趣味などと

いい思い出がない話

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

私だけがスッキリする話です。

オチはない。

 

 せっかくの敬老の日関係のお題だというのに、私の祖父と祖母には全くいい思い出がない。

 私が物心ついたときには、祖父と祖母は喧嘩ばかりしており、夫婦仲が良いとは到底思えなかった。

 祖母は幼い頃から体が弱かったらしく、入退院を繰り返し、その手間や病気の介護がかかるたび、祖父は家族全員で囲む食卓で文句を言った。

 祖母も祖母で、病気のストレスを母にイビることで当たり散らし、そのイビリが私まで巻き込んでいた。

 あまりにも酷いイビリに、母はとうとうノイローゼになり精神病院に入院してしまった。

 母が入院している間の私は、祖母に拘束され奴隷のようにこき使われていた。その頃の私はまだ小学1年生だった。

 私には妹もいたが、妹のことは祖母がなぜか毛嫌いし、毎日のように呪いの言葉を受けていたようだった。

 子供なりに、どうすれば祖母の機嫌が良くなって、祖父の機嫌も良くなるのかと、必死に考えて動いていた気がする。祖母の肩を揉んでいる時は、黙って祖父に対する愚痴を聞き、祖父が食事時に祖母の文句をいえば、それも黙って聞いていた。

 その頃の私の、母への思いは、実はあまりなにもなかった。あまり家にいない人だったからだ。朝から晩まで働き、隙間時間になんとか家事をしている状態だったので、母の姿を見ることは一日のうちに1時間あるかどうかくらいだった。

 父も、ほとんど帰ってこない人だった。たまに早く帰ってきたとおもったら、出されたご飯をひっくり返し文句を言い、そのまま勝手に外でご飯を食べてくるような人だった。

 だいぶ後に、不倫していた証拠を私がまたまた掴んでしまったので、自分の両親をほったらかしにしておいて、他の家に転がり込んでいたんだろうと思う。

 私たち姉妹は必然的に、祖父祖母の2人と長く接していることになる。

 祖父は妹を可愛がった。祖母に邪険にされる妹のために、やわらかいボールを買ってあげて、家の前で妹と祖父が遊ぶ声が聞こえてくる。

 祖母は私を可愛がった。祖母の可愛がり方は異常で、友達付き合いからその友達の御家柄やら成績やら聞いてきて、祖母のお眼鏡にあわなければ会ってはいけないことになっていた。

 だから、私はずっと祖母の部屋しかいることができなくなってしまっていた。祖母の部屋でやることといえば、祖母の洗濯物を畳むこと、マッサージすること、1日4回の医療機械のチェックをすること、祖父や母の愚痴を聞くこと、興味のない相撲の番組をずっと見させられること…

 窓の外から、祖父と妹の笑い声が聞こえる。それを見ることすら叶わず、あの時私はどん底の部屋にいた。妹の楽しそうな笑い声ですら、涙が出そうになった。私には、祖母がいる。祖父はついてくれなかったのだ。

 母が退院しても、その様式は変わることなく続いた。

 

 ある日祖母に、私はこの家を継ぐものであると言われた。うちは姉妹だから、どちらかが家を守らなければならないらしい。竹の物差しで叩かれながら、フローリングの床に2時間以上正座させられたり、長く伸ばしていた髪を突然短く切って、今日から男のように振る舞いなさいと、日々なに言ってるのかわからん謎の教育。

 男であらねらばならぬのなら、別に私はそれでもよかった。髪は短くしたらすぐ洗えてラクだし、動きにくいスカートも履かなくていい。体も大きく、力も強い私は普通に高校まで男の子と間違えられていた。

 友達も、もともと男の子と仲が良かったのもあって、完全に馴染んでいた。そうしたら当然、言葉遣いが荒々しくなってきてしまったのである。

 祖母は烈火の如く怒り狂い、竹の棒で私をしばき回し、そのまま過呼吸で救急車で運ばれ入院。さすがにこの時は殺されるかと思った。私も相当な怪我を負っていたけれど、救急車に乗るほどじゃなかったので乗車拒否した。入院になったと聞いた時は喜んだものだった。

 この時の折檻が、私が武道をやるにあたって、怖いものを減らしたい、強くならなければならない、自信をつけたい、というのにつながっているような気がする。

 

 なんやかんやで、祖母は私が大学の頃に亡くなった。涙は一切出なかった。

 祖母は7姉妹の末っ子。一番はじめに亡くなったので、今まで何にもしてこなかった6姉妹の、金は出さず口だけ出す攻撃がとんでもなかった。

 葬式のグレードから何から何まで指示しておいて放りっぱなし。祖母は家族葬と決めていたのに、大きな会館を指定してきた時は電話切った、と妹が笑って言っていた。

家族葬が始まり、父の姉、私からしたら叔母さんが、ここまで大変だっただろうに、最後までありがとうと泣きながら母の手を握っていたのをよく覚えている。

 精進落としの時、叔母さんが私だけにこう言った。

 あの人は癇癪もちで頑固で、一度暴れると手がつけられないときがたくさんあった。早死にする病気だと言われてから20年も生きた。その間の医療費もとんでもなかった。だから余計に周りに迷惑をかけた。見舞いに行くたび、そのうち私が母の首を締めて殺すことがあるかもしれないということを幾度も考えた。母殺しで新聞に載ったら、どれだけの人に迷惑がかかるかを考えて、なんとかギリギリで踏みとどまっていた。それなのに、最後まで面倒を見てくれたあなたの家族には感謝しかない。

 この叔母さんは、遠方のため手伝いに来れない代わりに、金銭的援助をたくさんしてくれていて、私は叔母さんに対しては憎しみもなにもなかった。むしろ、叔母さんの心中のことを考えると、ほんとうに辛かったのだろうなと。

 

 ヤングケアラーという言葉をご存知だろうか。若いうちから介護生活を送らなければならない人のことを指す言葉だ。

 私は大学に行って仕事につき、結婚して家を出たため、介護といってもそこまで壮絶なことをしてはいない。

 問題は妹で、そこそこ良い仕事についたが、実家暮らしのため祖父の介護が大変になってしまい、仕事をやめて介護をすることになってしまった。

 祖父は酒乱だった。いわゆるアルコール中毒で周りに迷惑をかけまくっていた。見張っているのにもかかわらず、何処かにお酒を隠していて飲む。深夜のコンビニで酒を買ってきて飲む。

 一度、泥酔状態で深夜のコンビニにこっそりお酒を買おうとしたところ、入り口で思いっきり転び顔面から大量の血を流していたのを、コンビニでたむろしていたヤンキーのお兄ちゃんに助けられ救急車に乗ったことがあったらしい。

 さすがに情けなくて泣いたと妹は言った。

 翌日には家に帰ってきたものの、毎日通院しなければならなくなり、外面の良い祖父は知り合いに会うと、わざわざ孫が心配してついてきてくれている、などのことを言って対面を繕っていた。さすがに本人も情けなくなったのか、それから一年ほどは禁酒したらしい。

 そして、アルコールも気がつけばコソコソと飲んで、ボケが一気に進行し、胃がんになり、訳のわからないうちに亡くなった。

 

 精進落としも終わり、私と娘が一旦実家に戻ろうとした時、祖父の兄弟に捕まった。

 祖父は4兄弟の末っ子で、話しかけてきたのは2番目のお兄さんだった。確かに、目元はよく似ているなぁと思った。

 どのような関係者かと聞かれたので、私のおじいちゃんですと答えると、その人の目が変わった。

 おじいちゃんは昔からチンピラで有名で、刺青も入れたりして、かなりヤンチャをしていた。その尻拭いを兄たちがしていたと。それなのに、これだけの人が葬式に来てくれるのはおかしい。(父の会社関係の人も多かったし、直接の関わりがある人はそこまでいなかった気もするけど…)悪いやつだったのに、なぜ孫やひ孫までできて、最後まで介護してくれる人がいて、これはずるいのではないかと愚痴を延々と言われ続けた。

 はあ…そうなんですねえ…知りませんでした…と適当に相槌を打つ。

 そういえば、祖父の足に火傷みたいな跡があるとは思っていたが、あれは刺青消した跡なのかなあととぼんやり考えつつ、遠くに見える時計はすでに9時を回っていて、私は2歳の子供を放置しておくのも限界なので、そろそろお暇いたします〜と席を立とうとした。

 しかし、まだ言いたいことがあったのか、なぜか祖父に対する恨み辛みを私に向かって当たり散らすので、親戚のおっちゃんに止められた。もういいやんか、死んだんやから!と。

 死んでなお、これだけの人が集まるのも最後まで看取られるのもおかしい、あいつはズルいと騒ぐ祖父の兄、親戚のオッチャンが、ここはなんとかするから帰りや、と言ってくれたので、なんとか脱出。

 うちの祖父は、どれだけの恨みを買っていたのだろうか。翌日、親戚のオッチャンに、昨日はありがとうと礼を言いに行った。

 生きてるうちに本人に言ったらええのになあ、孫やからって関係ないのに巻き込まれて災難やったなあ。そう言われ、肩の荷が降りた気がした。

 

 ここまで書いて、スッキリした。

 読んでいた方はスッキリしない話だと思うけど、私はすごく気持ちが落ち着いた。

 おじいちゃんやおばあちゃんとの確執。周りの人は、みんなおじいちゃんとおばあちゃんに恵まれていて、誰にも言い出せなかったこと。

 

 今年の敬老は、私の父と母と妹にも。

 父は不倫で振られてからは完全にATMと化している。

 母は今もパートでバリバリ仕事をこなして、昔のイビリで泣いていた頃を思い出させない獅子奮迅の働きをしている。

 一番心配なのが妹で、長いこと介護のため仕事をしてきていなかったのがあり、なかなか定職につけないでいる。

 今年はコロナ禍、旅行のプレゼントもできない。食の好みも全員違う。何が喜ばれるのか、連休明けまでじっくり考えようと思う。

繰り返させない最後の夏

今週のお題「暑すぎる」

 

 今年の夏も暑い。昼間は静かで、夜になってからセミが騒ぎ出すのはやはり暑すぎるせいなのだろうか。

 

 高校3年生の夏、部活動にて。引退をかけた試合。私のミスで、引退が決まった。

 

 顧問は、えこひいきをすると評判だった。先輩は陰湿ないじめをすると噂になっていた。そんなことを知らない私は、ずっと続けていたソフトボールの部活動に入ることにした。

 他の人より長くやっていたからとて、はじめの1年はレギュラーにもなれないと思っていた私は、先輩や顧問からの無茶な練習やいじめに耐え、2年目に突入した。

 また正レギュラーに入れなかった私は、さらに酷くなる顧問の練習に耐えた。なぜか私だけ特別メニューを組まれ、しかしそれを活かす場所もなく、ただ耐えた。

 たまに試合に出してもらえた場面は大体負けが決まったであろう試合の終盤で、試合終了後に、お前のせいで負けたと全員の前で幾度も怒鳴られた。謝罪すら求められた。

 向けられる先輩や後輩部員からの冷たい目線。私のせいで負けたわけではないのに、顧問がそうやって怒るせいで、他の部員まで本当にそのように思っているのだろうか。私にはわからなかった。私と同じ学年の部員だけは、ほぼ全員顧問を睨みつけていた。

 負けず嫌いだった私は、絶対に謝罪しなかった。

 

 3年目。変わらず私は正レギュラーを取ることもできず、ただ走らされるだけの毎日だった。スポーツを1度も経験したことのないという1年生が何名かレギュラーに入った。

 3年生は最後のシーズン、ほとんど動くことのできない1年生レギュラーをピリピリした目で見ていた。

 そして引退もかかった試合にて。

 複数の1年生が動けるはずもなく、試合は酷いものだった。いつものごとく、突如私が入ることになった。

 また負け試合の後始末が始まるのか。私はきっと最後になるであろう試合で、無駄に過ごした3年間をぼんやりと思い浮かべ、まだ何もしていないというのに流れる汗を拭いながら、正ポジションではないレフトの位置に立った。

 ピッチャーがタイムをかけて、キャッチャーを呼んだ。そして、ショートと私を呼んだ。それだけが、グラウンドの中にいる3年生全員だった。他の3年生は、グラウンド外からこちらをじっと見つめている。

「絶対に勝つで」

 ピッチャーが私に言った。点差は3点、5回裏。1年生が複数いるこのチームで、なかなか厳しいものがある。

「試合もやけど、顧問に勝つんや。あいつのやってることがおかしいって、認めさせたる」

 一気に体が熱くなった。

 3年生のメンバーは、顧問がおかしいことに気が付いていた。いつも私の味方をしてくれて、私だけ道具の片付けを言われた時も手伝ってくれたし、私だけのおかしな練習メニューにも文句を言ってくれていた。

 

 この時も、セミは鳴いていなかった気がする。暑い夏だった。

 相手側は二塁に出塁していた。次の打者は2番。レフト側によく飛ばしてくる打者だ。

振りかぶるピッチャーの左手。少し鈍い金属の音。思った通り、こちらに飛んできた。しかし、サードにいた1年生がライナーボールを取れず、レフトヒットになった。

 二塁走者が走っているのはわかっていたので、私はボールを三塁に返そうとしたが、誰もいない。三塁に入っていなければならないサードがいないのだ。私が今更走ったところで間に合わない。

 二塁走者はもう三塁を踏み抜くところまできていた。薄い砂埃の向こう側、キャッチャーが両手を振っているのが見えた。それしかない。私はそちらに向かって投げた。

 が、なぜかボールが逸れた。途中でサードが帰ってきて、ホームに向かって投げたボールを無理に取ろうとして弾いてしまっていた。弾かれたボールは外に飛んでいく。

 相手に点が入る。

 顧問の、レフト何やっとんねん!という声がこだました。

 

 そのまま、高校最後の、一番暑い夏が終わった。

 

 ボールを弾いてしまった1年生が泣いていた。すいません、すいません、と私に謝っていた。

 私は、気にすることないで、とその子の肩を叩いた。本当に責められるべきなのは、彼女ではない。

 

 顧問は、3年生に労いの言葉を言った後、私を前に立たせた。

「負けたのは、またこいつがミスをしたからや。いらんことせんかったら、勝てたかもしれん試合やった」

「そんなん、先生が全部悪いやん」

 ピッチャーが言った。

「3年生も、2年生も、みんな他にできる人いっぱいいるのに、できない人を試合に入れるのがおかしいやん。3年生がもしかしたら最後やってわかってたら、なんで背番号を3年生に渡さへんと、下級生に渡すん?」

 顧問が黙った。

「先生、おかしいよ」

 キャッチャーが立って、帰ろ、と私に言った。3年生はぞろぞろと立ち上がって、自分の荷物をまとめ始める。私も同じように顧問の横顔をチラ見した後、荷物をまとめた。

 いつもなら勝手に動くとバットで思いっきり太ももを叩かれていたが、その時は叩かれなかった。

 夕暮れに差し掛かっていたというのに、まだ蒸し暑さは残っていた。帰りのバス停でバスを待っている時、3年生全員で泣いた。

 

 私は今、ソフトボールとは違うスポーツの、ボランティアコーチとしてたまに練習へ行く。

 相手が子供でも大人でも、おなじ人として接すること。不当な行いはしないこと。暴言暴力はしてはいけないことを説いている。そして、そのスポーツを好きになって、精一杯楽しむこと。

 私は、あれからソフトボールが嫌いになってしまった。引退後、すぐに道具は捨てた。あまり思い出したくない記憶となっていたからだった。

 けれど、これからスポーツを楽しむ子供たちには、そうなってほしくない。これは体罰などの不当な行為にさらされた私たち大人がやるべきことだと思っている。

 ありがたいことに、うちのチームを卒業した子たちの評判はとても良い。それは子供たちが私たち大人が伝えたことを守り頑張った結果だ。大人の成果ではない。

 子供の心は純粋だ。人への尊敬や感謝の気持ちを忘れないこと。それを子供たちへ伝える。それだけのこと。

 しかし、たったこれだけのことができない人が多くいるのも事実だ。

 

 他のチームに、暴言を吐く子供がいることがある。そのチームのコーチも大抵、誰彼構わずに暴言を吐いていることが多い。

 相手に落ち度もないのに暴言を吐くということは、失敗は自分側にないと言っているのと同じだ。成長の芽を自ら摘み取ってしまっているのだ。そんなコーチに育成させられる子供たちはかわいそうだ。そして、そのまま大人になっていく。そのうちの何割かは、私の高校時代の顧問と同じようになるのかもしれない。

 実力に見合わないポジションにつけて、みんなの前でこき下ろす。そんな恥のかかせ方で、子供が上手くなるはずがない。このやろう、と思って這い上がれる子は一部だけだ。萎縮させていいことなんてひとつもない。

 間違ったことは叱る。けれど次には、こうならないためにはどうすべきかを考える。叱るだけの後ろ向きな考え方でなく、前向きな考え方に変換していく。

 これからのスポーツ界の発展のためにも、スポーツ以外に対しても、あんな辛いことは絶対に繰り返してはならない。

 

 今年は暑さと新型コロナウイルスのせいで、一旦活動は休止している。

 しかし、活動が再開し、子供たちが本当に楽しそうにスポーツをしているところを見ると、私はまた、あの1番辛く暑かった夏を思い出すのだろう。

見えないものもきっとそこにある・夕闇通り探検隊

今週のお題「怖い話」

 

 私には軽度ADHDの子供が2人いる。

 2歳差の、長女と長男。

 長女はおしゃべりで、不注意で、相手に聞かれてもいないことをひたすらに話し続ける。骨折などの大怪我はしょっちゅうだ。よくクルクルと回っている。

 長男は不器用だ。小学校に上がったにも関わらず、ごはんを箸できれいに食べられない。不器用なのにスポーツは好きなので、いつも負けて泣いている。

 

 この夏、実家に子供を預けた。

 お盆休みだけなら預かってくれると両親から言われ、徒歩20分ほどにある実家に子供を2人とも預けている。

 ADHDの子供2人なんて、1日ですら預かるなんて大変だろうとわかっていたが、精神的に疲れ果てていた私は、両親の言葉に甘えるしかなかった。

 夫婦2人だけだと、こんなにも穏やかで静かで落ち着いた生活だったのか、と実感しつつ、両親への申し訳なさに、胸が締め付けられる思いをしていた。

 対して、子供にはあまり何とも感じなかった。本当に、一緒にいるのが辛かったのだ。

 

 お題は、怖い話。

 直接的な怖い話ではないし、こんなのでお題と言われても怒る人もたくさんいるかもしれない。けれど、私のこれからの人生がもしかしたら少し楽になるのではないかと感じることがあった。

 

 私はホラーゲームが好きだ。

 スプラッタやビックリ系ではなく、日本独特の、冬に髪が濡れっぱなしの時のような、あのヒンヤリ感と理不尽感の残る、そんなゲーム。

 夕闇通り探検隊、という、20年ほど前に出たプレイステーションのソフトがある。

 中学2年生の主人公、ナオ・サンゴ・クルミの3人組が、住んでいる町の怪談を解決していくというストーリーだ。正直、本当に怖い。怖いのに何故かプレイしてしまう魅力がある。

 今はプレミアがついて、オークションサイトなどではものすごい値段で取引されている。

 やることのない今、私は未だ手元にあるそれらのホラーゲームをプレイしていた。

 そして発見した。

 夕闇通り探検隊に出てくる、とある家族と、私と子供の関係に、よく似ていたのだ。

 

 “クルミ”という少女がいる。前述した、主人公3人組のうちの1人だ。

 

 クルミは、いわゆるクラスで浮いている子だ。

 中学2年生だというのに小学校低学年ほどの言動から、同級生に「宇宙人」と呼ばれ無視されている。本人はそれの意味に気付かず、無邪気に過ごしている。何となくだが、クルミには自閉症学習障害があるような描写に見えた。

 

 家族構成は、父、母、クルミ、弟のコウの4人暮らし。家はとても綺麗で広く、どちらかというと裕福な家庭に見える。

 父はとても包容力があり、母も細かいことは言わない。小学生の弟とも仲良く過ごしている姿がある。

 

 しかし、ゲームを進めていくにつれ、それぞれの家庭の本当の姿が少しずつ浮き彫りになってくる。

 

 20年前の私はまだ若く、ただただ怪異を攻略していくだけのプレイをしていたが、大人になった私には、怪異よりも、それぞれの家庭環境や取り巻く人々、地域の描写のリアルさに驚きを感じた。

 

 それは、クルミの家が私の家庭環境とあまりにもよく似ていたからかもしれない。

 

 

 クルミは、どうやら精神科に通っていた。

 彼女には、自分の世界がある。いろんなものが見える。キラキラ光って、フワフワ浮いていて、話しかけてくる人がいて…それはとても楽しいものでもあり、たまにとても怖いものでもあった。

 精神科の先生は父親の知り合いで、クルミの良き理解者であり、クルミは決しておかしな子ではないと言っていた。ただ、彼女なりの世界の見方があり、それが一般的なものとは少し乖離しているのだ、と。

 父親もその話で納得をしていて、クルミの望むように絵本を読んでやったり、空想とも思える会話に長く付き合っていた。

 

 しかし、実際に世間の矢面に立たされる母親はそうと思っていない。

 面談では担任にクルミのことで困っていると言われたこと。

 家庭でもクルミのことをどうしても構いすぎてしまうため、弟のコウを蔑ろにしてしまいがちになっていること。

 クルミの言っていることがわからず、なるべくまともに話を聞かないようにしていること。

 それらに大きな罪悪感を抱いていた。

 母親は、そんなクルミの将来や、クルミの言動から晒される自身への目線、普通の子供であるコウもちゃんと構いたい、今の精神科では普通と言われ続ける現状の辛さ…

 そんな暗澹たる気持ちで、他の精神科にかかることを強行した。

 新しくかかる精神科の医者は投薬をメインにしており、カウンセリングでの診察はほとんど行わないというところであった。投薬治療が悪いとは言わない。投薬治療が合う子もいれば、合わない子もいる。

 クルミには投薬治療がたまたま合わなかった、ただそれだけのことだ。

 そして、クルミは感受性の高い子供だった。自分のせいで、周りが不幸になっていくのを、実はよくわかっていた。

 このゲームのラストで、大きな事件が起こる。それは、このゲームをどのようにプレイしたとしても避けられない結果となる。

 

 これはホラーゲームだ。

 クルミの見えていた“モノ”は、他の人には見えていないものがたくさんある。実際、クルミ以外の主人公では解決しない怪奇事件がたくさんある。

 クルミだけは、見えない人に話しかけ、普通ではありえない場所に行き着くことができる。

ただ、クルミにとっては、それらは空想ではなく、まぎれもない現実だ。

 どこからどこまでが現実で、空想なのか。それは人によるのだろう。ただ、見えない人にとっては、恐怖そのものだ。まさに宇宙人だろう。

 統合失調症の人の言うことだって、その人にとったら本当のことだ。自分のものさしだけで測ってはいけないのだろう。

 

 冒頭にも書いたが、私にはADHDの子供が2人いる。

 クルミの母親は、私とほとんど同じだ。2人の将来を悲観し、どうすれば普通になるのか試行錯誤し、失敗し、縋る先を探し回っている。

 発達専門の小児科に通っているものの、どこか信用しきれず、誰が悪いのか、何が悪いのかをいつも頭の中で考えている。

 しかし今、このゲームを真剣にプレイしたことで、その2人にしか見えていない世界も、もしかしたらあるのかもしれない、と考えることができるようになった。そして、それは2人にとっては現実である。

 クルクル回ったり、ピョンピョン跳ねたりで、何か見えることもあるのかもしれない。

 

 古いゲームだが、今になってはっきりと理解できた。私はもっと視野を広く持たなくてはならない。固定観念を減らさなければならない。

 プレイした当時にはわからなかったこのゲームの凄さ。

 クルミという、ゲームの中にか存在しないはずの少女は、現実にもきっとたくさんいるのだ。

 20年も前にこのゲームを作ったクリエイターに、ありがとうと伝えたい。

 

 もうすぐ子供が帰ってくる。おかえり、と笑顔で迎えられる。そんな気がした。

弾ける気持ちと郷愁

今週のお題「夏うた」

 

弾けるような、シュワッとした感覚。

それは夏特有の、炭酸が妙に欲しくなる現象。ただし、飲もうとして傾けると中に入ったビー玉がカロンと涼やかな音が鳴るあの瓶ではない。

私は年中手に入るサイダーだ。

 

サイダーガール「ロマンチック」

 

こちらはPVも一緒に見てもらえるとよくわかる作品かと思っています。

夏休みと思われる校舎を走る一人の少女。

水の飛沫、振り返る少女、サビの部分と相まって、爽やかなでキャッチーな楽曲。

こんな爽やかな青春を送っていない私だというのに、一緒になって走って叫び出したい気分になります。

エメラルドの羽で、いつの日か、また、空を飛べる。

もうおばさんなので、完全に不審者ですが。

 

 

もうひとつ。

夏の終わり、強い強い郷愁を抱き、夕焼けをぼんやりと眺めながら聞いていたい曲。

 

YEN TOWN BAND「Swallowtail Butterfly〜あいのうた〜」

 

もともと映画のバンドから派生した楽曲ですが、その映画の退廃的で刹那的で、決して明るくない画面越しにCHARAさんが率いるYEN TOWN BANDの曲が流れる。

切なさの最高潮にある曲だと私は思っています。

落ち込んだとき、苦しんでいるとき、なぜか一番聴きたくなって、曲を聴きながら頭の中をゆっくり整理します。

どうしようもないときにでも、なんとでもなれる、なんて都合のいいことを最終的に思い浮かべて、心を落ち着けています。

不思議なのですが、心が折れそうなとき、一度試しにこの曲を聴いてみてください。